温故知新 〜凡人が賢人になるために〜

株式会社イードア代表 中村 裕のコンサルタントブログです。

「入社式」と「誇り」

4月1日に弊社には2名の新入社員が入社しました。

13年卒から新卒採用を進める弊社にとっては、4期生となります。

昨年より入社式を導入し、新入社員の挨拶や決意表明は勿論のこと、全社員がメッセージとして決意表明をしております。

弊社の13新卒は既にマネージャーとなり、今日も良いスピーチをしてくれました。
以下、原文です。
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「自負心と誇り」

誇り高き組織でありたい。
誇り高き個人が集う場所でありたい。

昨年の「すごい」組織に引き続き
上記を思っていた。

ディズニーランドでアルバイトの人たちがハイクオリティなサービス提供が出来るのはなぜか?

ハイアットリージェンシーが最高のサービスといわれるものを提供できるのはなぜか?

それぞれの一流と言われる人に聞いてみると口をそろえて「誇り」を語る。

では
「誇り」とはなんであるか?
「大きく伸ばしていう」これが起源であるそうだ。

確かに、英訳して「プライド」と言う表記になった際には「あの人はプライドが高い」などと悪い意味で表現されるものでもある。

だとするとディズニーランド・ハイアットなどをはじめとする一流の人たちの持つ「誇り」とはなんなのか?
決して悪い意味でつかわれる「プライド」ではないはずだ。

そこで私自身出会ったのが矢沢永一氏のことばである。

 『生き方通』(矢沢永 一)「すべきこと」より、
 自負心をもっている人とは、自分の能力および 性格を、高値でもなく低値でもなく、正味の重みで自覚し、その上で、自分の資質を存分に発揮したいと考え、しかるべき機会を待ってい る人である、と説明したらよいであろうか。
 だからこの人は自信をもっているが謙虚であり、望むところは大きいが理に叶っており、毅然としているが傲慢でなく、焦ったりすねた りせず悠然としている。

http://www.shiawasehp.net/diary/201106/15.html

彼ら一流と言われる人たちのいうの「誇り」は「自負心を持った誇り」を持っているのだろう。

決しておごらず、自らのチカラを正しく認識し、その力を発揮する心意気をもっている。

正しく自らの力を認識できるからこそ虚像ではない「自信」が生成される。

そんな人たちの集まりでありたいと思う。

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私は創業時から「誇」という文字、意味を大事にし、自分自身に言い聞かせてきました。

私自身の考えでは、謙虚な姿勢で努力を惜しまず、最善を尽くし取り組む姿勢。と捉えておりますが、弊社の13年新卒が「誇り」について真剣に考えてくれ、且つそれを全社共有、新入社員へのメッセージとしてくれたことは感慨深いものがありました。

この「誇」を持ち、歩んでいきたい。と改めて強く思いました。